[最新] 瀬名 徳川 188933
氏広が持舟城主に抜擢される前は瀬名館に住み、ここで女子が誕生した。 瀬名館で誕生したことから瀬名姫と呼ばれ、後の家康公の正妻となった美人の誉れ高い「築山御前」である。 彼女は今川・徳川・織田の戦国乱世の運命に翻弄された悲劇の築山御前でもある。 家康公と築山御前の間に生まれた信康の元には、政略結婚のため織田信長の娘(徳姫)が嫁いでき27/6/ 1 瀬名氏とは 今川氏の支流で、 駿河国 庵原郡 瀬名( 静岡県 静岡市 )の発祥。 九州探題 をつとめた 今川了俊 の子孫で、一秀のときに瀬名に住んで瀬名を称し、代々今川氏に仕えました。 今川氏の没落後、瀬名政勝は 徳川家康 に仕えて旗本となり、采地三百石を賜りました。 子の清貞のときに二百石を加えられて五百石となりました。 清貞の長男瀬名姫・・・・非業の最期を遂げたお姫様ですね。 その息子「徳川信康」とともに、夫・徳川家康に殺害されてしまった人物です。 彼女は一体どこの誰なのか? 彼女の父は、今川義元の有力家来である「関口親永」さん。 築山殿 瀬名姫 徳川家康公ファンの歴史ブログ 瀬名 徳川